Sweet Things - 余白を探す旅 - Episode 1「赤富士と姫とキュンとする光景」 水口早香 

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小さな出来事から生まれる物語は、どんな感性で捉えられていくのか。ローカルに馴染み、目の前にあるものを自分だけの色に染めていく。鳥のさえずり、川のせせらぎ、虫の息づかい…なぜか心の奥に引っ掛かるものを見つけたとき、その場所がグッと愛おしくなる。人は断片からなにを切り取るのだろうか。それぞれの「余白」を探す旅へ。

AM4:23 東京から車で1時間半。天気のせいもあり、日の出前の山中湖は鈍い銀色をしていた。どこかからホーホケキョと聞こえる。息は白いが、春の音する5月末日。寒さに負けて車に戻り、サービスエリアで買った三角型のコーヒー牛乳を開ける。あ、これ『カルテット』ですずめちゃんが「好きなの忘れるくらい好き」って言ってたやつかも、なんて考えてたらいつの間にか目の前に富士山がそびえ立っていた。一瞬前まで雲に覆われていたのがスーッと晴れたのだ。だがスーッと晴れる瞬間は見逃してしまった、私はコーヒー牛乳のラベルを凝視していたから。

山は日の出を受けて段々と赤みを増した。これが有名な「赤富士」らしい。あれは北斎のイマジネーションじゃない、山は本当に赤くなるんだ。人々が神と呼ぶのもわかる。この神が再び火を吹いたとしたら、麓に住む小さな生き物たちはその運命を共にするしかない。その迫力と畏怖の念にぽーっとする。やがて再び雲のベールに隠され赤富士は姿を消した。とても色っぽい神様だ。

AM11:00 部屋は3つに分かれている。A棟には大きな窓が生き生きとした新緑を切り取って、まるで小さな美術館みたい。B棟は畳の敷かれたモダンな茶室というかんじ。そして3つ目の棟はサウナ。なんだか好きを詰め込んだ秘密基地みたいだ。私はA棟をお絵描き部屋として、B棟を寝室として使うことにした。お絵描き部屋の窓とドアをすべて開け放ち、いかなる動物の侵入もウェルカムという心持ちで絵を描きはじめる。風と数匹の虫たちが入り込む。川のせせらぎが絶えず聞こえる。中と外、人工と自然の境界がぼやけてゆく感覚が心地よい。土の匂いは幼い頃の記憶を刺激する。床にスケッチブックを広げる私はこどもに戻った。

PM0:30 古民家カフェのお隣の席に、合わせて年齢120歳くらいでしょうか? 二人組の母娘が座っていた。娘さんの目の前にコバルトブルー色のバンズで作られたハンバーガーが運ばれる。おぉ確かにメニューにあった、あの挑戦的な創作料理。ここでしか食べられない貴重な一品だということはわかっているが私のなかの保守派が「蕎麦にしとけ」と命令を出し、それでも少し冒険したつもりで蕎麦のジェノベーゼを注文したのだ。食べると冷たいやつだった。美味しい。青いバーガーの娘さんはテレビ電話をかけたらしく、電話の向こうから「美味しそうだねえ」と聞こえてきた。

PM2:35 『ふじさんミュージアム』、そこで富士山の神話にまつわるアニメを見た。木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)というお姫様(超美女)は、旦那である山の神様と一晩で子宝に恵まれる。だが「一晩でできるなんて怪しい! ほかに男がいるにちがいない!」と山の神様は姫を糾弾する。逆ギレした姫は小屋に閉じこもると自らそこに火を放ち、燃え盛る炎のなかで無事3人の子供を出産。「こんなに強いんだからあんたの子に決まっとるやろ!」と証明したのだとか。なるほど富士の姫は美しく大胆で逞しい。かっこいい。アニメのなかで祖母からこの話を聞く少女は最後に尋ねる。「私も姫みたいにきれいになれるかな?」なぜか祖母はその質問にだけは答えず静かに微笑んでアニメは終わった。少女よ、ともに美しく強くなりましょう。

PM7:30 レストランの外には焚き火が灯されていた。温かい炎に先ほどの姫をうっすらと思い出しながらテーブルにつく。美味しいワインと食事のおかげでおしゃべりは弾み、出会ったばかりの旅仲間がもう親友なんじゃないかなくらいに思えてくるから不思議だ。トレーラーハウスは人が歩くたびに揺れる。ずっと移動し続けているみたいだ。昼間はあんなにも色鮮やかだった窓の外は嘘みたいに闇に覆われ、天気のせいか今晩は星も見えない。宇宙船ってきっとこんな感じじゃない? その宇宙の闇のなかで、富士山は変わらずその揺るがない姿で私たちを見ているんだろう。

翌AM8:15 夢のなかでキツツキが部屋の屋根を嘴で突いていた。屋根に穴が空くぞやめてくれ! と思った瞬間、それが雨の音だと気がつき目を覚ます。トレーラーハウスに落ちる雨は色々な響き方をする。部屋でコーヒーを淹れ、ただじっとそれを聞く。雨も生き物なんだなあ。カーテンを開けると向かいの部屋に昨晩の小さなパーティの名残があった。空いたワインのボトル、食べきれなかったポテトチップ。キュンとする光景だ。たまにはなんのこだわりも持たず下調べもせず時間を過ごしてみるのもいい。1人になってもいいし、誰かと共有してもいい。もちろん時間は限られたものだけれど、そこに何もかもを詰め込むんじゃなくて空白を作ってみるのだ。そうすると、そこの隙間に、余白に、偶発的なものごとが舞い込んで色は更に豊かになる。明日からまた忙しい日々が始まる。またこうやって自分の五感をチューニングする時間を取りに来れたらいいなと思う。

Episode 0 「BLANC FUJI」

Profile

水口早香/Sawaka Minaguchi 俳優・イラストレーター

神奈川県出身。2018年に野外劇『三文オペラ』ルーシー役で出演後、『アジアの女』で鳥居役に抜擢される。その後、東京演劇道場1期生として『赤鬼』に出演し、21年からNODA・MAP作品でアンサンブルを務める。他に『プルーフ/証明』クレア役、『わが町』、『サンブンノイチ』星野役、『テラヤマキャバレー』劇団員役などに出演。
24年7月から上演されるNODA・MAP第27回公演『正三角関係』へのアンサンブル出演を控えている。

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水口早香:@sawakamkam / 【絵】Sawaka:@paperandpenciland