Zeroichi ゼロイチ 創業社長物語 #001大串卓矢 #2「環境保護ビジネスの夜明け」
創業社長の共通点とは、なんだろう。七転び八起きの人生、生死をかけた壮絶なる体験、事業立ち上げの苦労……。それぞれに悲喜交々のストーリーはあるが、必ず持ち合わせているのが、物ごとをゼロからイチへと推進させた経験だろう。「ゼロイチ 創業社長物語」では、そのプロセスをノンフィクションライター鈴木忠平が独自目線でヒモ解いていく。
一風変わった革新的で無口な社員
21世紀の到来を前にした1997年12月、地球温暖化防止に関する国際会議が日本の京都で開かれた。先進国の温室効果ガス削減目標などが定められたその国際条約は「京都議定書」と呼ばれるようになった--。
その頃、吉田麻友美は東京・霞が関のビルにオフィスを構える会計監査法人に勤めていた。入社当初は国際部にいたが、やがて、まだ発足してまもない環境監査部という部署へ異動を命じられた。
そこに一風変わった人物がいた。大串卓矢という社員だった。無口で、たまに口を開いたかと思えばボソボソと小さい声で話すため、内容が聞き取れない。だが、発する言葉は鋭く、行動は革新的だった。
《本当に何を言っているか、聞こえないんです(笑)。あんまり聞き返すのも悪いかなと思っていたんですが、聞けばきちんと答えてくれる。私はそれまで環境問題に関してはあまり知識がなかったんですが、大串とやり取りするなかで覚えていきました》
2000年代に入ると、地球温暖化が世界各地で議論されるようになっていた。吉田は大串と、もうひとりの社員とともに3人で「GHG(Green House Gas)チーム」を組んで、仕事をするようになった。温室効果ガスの削減について、日本企業へのコンサルティングが主な業務であった。
チームのリーダーだった大串は、あるとき、NGO団体を集めたセミナーで論文を発表した。その骨子は、環境保護活動に金銭的価値をつけるということだった。資本主義社会における経済活動と環境保護を両立させることを狙いとしていた。
その場にいたほとんどの人間はポカンと呆気に取られていた。ただ、大串は確信を秘めているようだった。
《社内にも、どこにも前例のない仕事で、何もお手本がない中で、自分で考えてやっていく。大串はそういうことが好きでしたし、得意でした》
垣間見えた異様なる健康志向
吉田は就職氷河期といわれる時期に社会へ出た。そのためだろうか、何がやりたいかではなく、持っている能力を生かしてどう既存の社会に入り込んでいくか、を考えてきた。アメリカ・ロサンゼルスの大学に通っていた経験を生かして、英語学校の教師という仕事もした。
一方で大串は、社会にない仕事を生み出そうとしていた。自分とは対照的なそのビジョンに吉田はひかれていった。
GHGチームはほとんどの時間をともに過ごした。残業も休日出勤も当たり前だった。その中で吉田は、大串の異様な健康志向に気づいた。
ファーストフードの類はほとんど口にせず、添加物の少ないものを選んだ。会社には自転車で通っていた。あるときは、霞が関から、小手指の自宅まで50kmあまりを走って帰ったこともあった。ビルの29階にあるオフィスへの往来には、エレベーターではなく階段を使っていた。
「小さい頃から体が弱かったんだ」
大串からそう聞いたことがあった。
そのコンプレックスが、健全さの追求に駆りたて、地球環境への鋭敏な意識になっているのだろうか……と吉田は思った
「小さい頃は親が忙しく、ほとんど犬に育てられたようなものだ」と聞いたこともあった。
無口で口下手なのは、そういう理由なのかと合点がいった。
大串は365日のほとんどをGHGチームの仕事に費やしていた。あまりに休日出勤が続いて、「離婚の危機だから、今日は家を出られない……」と言ってきたことが何度かあった。
2005年になると、ヨーロッパで排出権取引という市場が動き出した。もともと京都議定書に盛り込まれていた概念で、各国家、各企業に温室効果ガスの排出枠を定め、枠が余った組織と超過した組織で取り引きするというものだった。環境保護のビジネス化であり、大串が論文で提唱していたことと同義だった。
だが、ヨーロッパやアメリカで波及していったこの動きも、日本では始まらなかった、制度も定まっていなかった。吉田らがコンサルティングを担当していた企業も、二酸化炭素の削減はあくまで体面を保つためのもので、事業計画にまで入れる会社はほとんどなかった。日本はまだ環境問題について、仮面をかぶっているだけだった。
大串はその時期から、経済産業省に足を運ぶようになった。エネルギー資源に関する行政を所管する役人たちと頻繁に会っているようだった。
相変わらず言葉にはしなかったが、吉田は、大串が何を考えているのか察しがついた。このまま待っていてもおそらく何も変わらない。それは環境問題の最前線にいれば、誰もがわかることだった。
《環境、環境と言いながら、お金がないと継続できない。ボランティアでやり続けることはできない。お互いメリットがないと物事は続かないんです。そういう意味で、排出権取引というのは経済的合理性がありました。大串はそれを日本でもやろうとしていました》
それからほどなく、大串は会計事務所に辞表を出し、自らベンチャー企業を立ち上げた。
彼は何もないところに道をつくろうとしている--。吉田にはそれがわかった。
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Takuya Ogushi
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